福岡市の福岡城は戦国時代、徳川家康と石田三成の関ヶ原の戦った後、徳川家康側についている黒田長政は、五十二万石の福岡藩主になって、作ったお城です。

しかし、現在は福岡城は天守台があるのに、天守閣がない。諸説がある:徳川幕府に忠誠心を示すため、天守閣を作ってないとか、作ったあとすぐ天守閣を取り壊したとか……
なぞのまま現在に至るまで。

動画の天守台とは、天守閣をのせるための基礎となる石垣のことです。

福岡城には大・中・小と3つの天守台があります。

1646年(正保3年)に描かれた福岡城の絵図「福博惣絵図」には天守閣はなく、官兵衛・長政親子は幕府に遠慮して天守閣を建てなかったと考えられていました。

しかし、近年になり天守閣の存在をうかがわせる文書が発見され、存在説が浮上、実際には造ったが十数年で取り壊したのではないかともいわれていますが、天守閣の存在は未だはっきりしていません。

天守台は現在、展望台になっており、福岡の街や博多湾が一望できます。隣りには古代日本とアジア交流拠点の鴻臚館がある。

現在、福岡市は福岡商工会議所など福岡城の天守閣の復元を提唱している。