沖縄の青い空と海に抱かれた、世界遺産「中城城跡」。この動画では、単なる史跡としてだけでなく、壮絶な歴史と信仰が深く息づく、この美しい城の魅力に迫ります。

中城城は、14世紀末頃に築かれ、沖縄に数多あるグスクの中でも、築城当時の姿を最も色濃く残す「雅なぐすく」として知られています。見る者を魅了する優美な曲線を描く石垣は、その堅牢な造りから、1853年に琉球を訪れたアメリカのペリー提督が「鉄壁の守りだ」と感嘆した逸話も残されています。

本土の城とは異なり、中城城内には「拝所」や「火神(ヒヌカン)」が点在し、城が単なる軍事拠点や政治の中心地だけでなく、地域の人々の安寧や五穀豊穣を祈る信仰の中心であったことを物語っています。鍛冶屋跡や井戸の跡も残されており、当時の城内で自給自足の生活が営まれていた様子も垣間見ることができます。琉球のグスクは、人と神々が共に生き、そして生活の営みも全てを包み込む、特別な空間だったのです。

この中城城と深い縁を持つのが、琉球史に名を刻む名将、護佐丸(ごさまる)です。築城の天才としても知られる彼は、王命により座喜味城から中城城へと移り、勝連城の阿麻和利(あまわり)を牽制するため、城をさらに堅固に増改築しました。護佐丸の改築によって、中城城は琉球で最も堅牢な城の一つとなったと言われています。

動画では、護佐丸の後半生に焦点を当てます。混乱する首里王府での後継者争い、尚泰久(しょうたいきゅう)王との関係、そして護佐丸の娘と尚泰久王の間に生まれた百十踏揚(ももとふみあがり)を巡る阿麻和利との複雑な関係性。そして、1458年に起こった「護佐丸・阿麻和利の乱」の悲劇へと繋がります。阿麻和利の告げ口により王府軍に攻められた護佐丸は、王への揺るぎない忠誠を貫き、決して弓を引くことなく、妻子と共にこの中城城で自らの命を絶ちました。その悲痛な決断と壮絶な最期は、琉球の人々の心に深く刻まれ、今もなお語り継がれる悲劇として歴史にその名を留めています。

現在、中城城跡では、未来へとこの貴重な遺産を伝えるため、大規模な修復作業が進められています。一つ一つの石に番号が振られ、丁寧に積み直されるその光景は、歴史を紡ぐ人々の情熱と、文化財を大切にする想いを伝えています。

中城城は、ただの城跡ではありません。そこには、琉球の人々の営み、深く根差した信仰、そして壮絶な人間ドラマが息づいています。ぜひ一度、この「雅なぐすく」を訪れ、あなた自身の目で、その魅力を感じてみてください。

★目次(チャプター)
0:00 中城
0:00:39 中城の防御構造
0:01:35 中城の精神的意味
0:02:11 中城における生活の自給自足
0:02:38 護佐丸の物語
0:04:39 護佐丸と阿麻和利の対立
0:05:37 護佐丸の悲劇的な最後
0:07:58 今も続く中城の修復作業
0:08:23 まとめ

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